藤田嗣治の作品に猫が多いのはなぜ?本当はフランス人って本当?生い立ちを紹介

藤田嗣治の作品に猫が多いのはなぜ?本当はフランス人って本当?生い立ちを紹介

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この記事では、藤田嗣治の作品に猫が多く使われているということについて、調べてみました。藤田嗣治と猫には一体どのような関係があって、なぜ多くの作品で猫がモチーフになっているのでしょうか。また、レオナール・ツグハル・フジタとも呼ばれる藤田嗣治は、フランス人なのでしょうか?彼の生い立ちや作品について、詳しくご紹介します。

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藤田嗣治の作品に猫が多いのはなぜ?

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藤田嗣治の作品には、多くの猫が登場することをご存知ですか?家庭画報によると、藤田嗣治は過去に猫を飼っていました。藤田嗣治が猫を飼いだしたのは1920年頃だそうで「フト足にからみつく猫があって、不憫に思って家に連れて来て飼ったのが1匹から2匹、2匹から3匹となり、それをモデルの来ぬ暇々に眺め廻し描き始めた」と語ったこともあるそう。藤田嗣治にとって猫がどんな存在だったのか、詳しく見てみましょう。

自身の分身のようなものだから

藤田嗣治は、猫を自分自身に投影していたといわれています。猫は自由であり、孤独。 群れをなさず、自由奔放で、どこかミステリアスな猫の気質に、異国であるフランスで独自のスタイルを貫こうとした自分自身を、重ねていたと言われていますよ。また、自画像に猫が登場することからも、藤田嗣治にとって猫がどれだけ大切な存在かを物語っています。

女性の美しさを引き立てる小道具として

藤田嗣治が絶賛された「乳白色の肌」を持つ裸婦像において、猫は欠かせないパートナーでした。特に注目されたのは、その質感の対比。柔らかく滑らかな女性の肌と、ふわふわとした猫の毛並みのコントラストを描くことで、画面に変化と奥行きを与えましたよね。また、猫はどちらかというと野性的で、従順ではない動物です。そんな猫を配置することで、女性の中に潜むしなやかさや気まぐれなエロスを強調する、ある種の効果を狙ったと考えられています。

パリでは猫が身近な画材だったから

当時のエコール・ド・パリの画家たちの間では、猫は身近な画材であり、生活の伴侶でした。特に藤田嗣治は、アトリエに迷い込んできた猫をそのまま飼い始めるなど、常に猫に囲まれて生活していたといわれています。彼にとって、最も観察しやすいモデルだったという実用的な側面もありますよ。猫に囲まれながら絵を描いていた藤田嗣治は、自分を猫に投影し、ともに生きているような感覚だったのかもしれませんね。

藤田嗣治はフランス人なの?

藤田嗣治は、結論から言うとフランス人です。しかし、もともとは日本人として生まれ、その後フランスに帰化したというのが正しい認識です。彼は日本とフランス、2つの国を深く愛していました。それゆえ、両方の国の間で揺れ動き、葛藤した波乱万丈な人生だったそうですよ。次の項目から、藤田嗣治の生い立ちを振り返りながら、彼にとって日本とフランスがそれぞれどのような存在だったのか、見てみましょう。

医師の家系に生まれたエリート

藤田嗣治は東京都で、医者の息子として誕生しました。父・藤田嗣章(ふじた・つぐあきら)は現在の東京大学で医学を学び、軍医として台湾や朝鮮などを飛び回っていました。森鷗外の後任として、最高位の陸軍軍医総監にまで昇進した人物なのだそうですよ。また、マメ知識ではありますが、俳優・千葉雄大さんは遠い親戚にあたるそうです。

幼少期から絵が大好き

藤田嗣治は幼少期から絵が大好きで、中高生のころには「画家としてフランスへ行きたい」と思うようになっていたそうです。父親が世界を飛び回る職業であったため、東京都で生まれた藤田嗣治ですが、7歳から11歳まで熊本市で過ごしました。中学校・高校は、あの悠仁さまが通われている大学付属の「筑波大学附属中学校・高等学校」に通っていました。

あの有名画家とは犬猿の仲

藤田嗣治は、森鷗外の薦めで東京藝術大学美術学部に入学しました。しかし、藤田を待ち構えていたのは、洋画家の黒田清輝らが集ったグループでした。フランスから帰国したばかりだった黒田たちは、印象派や写実主義がもてはやされていました。こうして黒田とは犬猿の仲となった藤田は、同校を卒業する際の製作において、黒田が嫌った黒を多用した『自画像』という作品を残しています。相手が嫌いな画法や色を使って卒業制作を描くとは、戦い方までアーティスティックだったのですね。

フランスでは知らない人がいないほどの知名度に

藤田嗣治といえば、フランスでは知らない人のいない有名画家でした。藤田は、フランス語の綴りである「Foujita」(フゥジタ)をもじってFouFou(フーフー)と呼ばれていました。FouFouは、フランス語で「お調子者」をあらわすそうで、フランスでは知らぬ者はいないほどの人気を得ていたそうですよ。ニックネームまでつけられるほどに、藤田は愛されていたのですね。

フランスに帰化した理由

藤田嗣治は、最終的にフランス国籍を取得し、フランスの画家としてその生涯を終えました。日本を愛していたはずの藤田嗣治がフランスに帰化しなければならなかった理由は、戦争でした。藤田嗣治は第二次世界大戦中、『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』や『アッツ島玉砕』など、南方などの戦地を訪問しモデルにした戦争画を描きます。しかし、戦時中に戦争画を描いたことに対し、終戦後の日本の美術界から責任を追及されてしまいました。これに嫌気がさした藤田は、元いたフランスに帰ることにしたそうです。

洗礼名も画家から名付けられる

藤田嗣治のフランス語名は、レオナール・ツグハル・フジタです。このレオナールは、レオナルド・ダ・ヴィンチにちなんでいるそうです。藤田嗣治は生涯で5回結婚していますが、そのうち3人はフランス人女性でした。特に、人生の絶頂期を過ごしたパリを魂の故郷と考えていた藤田嗣治は、カトリックの洗礼を受けることにしたそうです。

まとめ

藤田嗣治の作品に猫が多い理由について、まとめてみました。藤田嗣治は生涯で5回もの結婚を経験しており、破天荒な人生を送ってきましたが、猫という存在が彼にとってなくてはならないものだったのだということが分かりましたね。作品の中にも多数登場し、藤田嗣治の心にいつまでも存在し続けたのが、猫だったのでしょう。

この記事を書いた人

サイトにアクセスしていただきありがとうございます!関東在住のオフィスワーカーこころです。ヨーロッパへの旅行が好きで、その中で美術館を訪れる機会が増えたことで絵画に興味を持つようになりました♪これまで興味がわかなかった方も楽しんでアートを身近に感じてもらえるような情報を発信していきます。

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