ウィリアムターナー画家は何がすごい?有名な作品は?生涯独身の理由や半生も

ウィリアムターナー画家は何がすごい?有名な作品は?生涯独身の理由や半生も

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ウィリアムターナーという画家は「光の画家」と呼ばれ、戦艦テメレール号などの代表作で印象派に大きな影響を与えました。生涯独身を貫いたことでも知られていますが、その理由には意外な背景があったとされています。この記事では、ウィリアムターナーのすごさや代表作、独身の理由、波乱に満ちた反省をまとめました。

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ウィリアムターナーという画家の”すごさ”とは?

ウィリアムターナーのすごさは、光と大気の移ろいを絵画で表現した革新性にあります。輪郭をあえてぼかし、色彩の重なりだけで空間を描く手法は、当時の画家仲間に衝撃を与えました。特に晩年の作品は輪郭が溶け合うほど抽象的で、20世紀の抽象絵画を先取りしていたとも評されています。

ほぼ独学で絵を学びながら独自の画風を築き上げた点も、ウィリアムターナーの”すごさ”。この技法は後の印象派の先駆けとされ、現在ではイギリスの20ポンド紙幣に肖像が採用されるほど国民的な画家として愛されているのです。

ウィリアムターナーの代表作

ウィリアムターナーは生涯で多くの傑作を残していますが、代表作を厳選してご紹介します。2005年のBBC投票では、『戦艦テメレール号』がイギリス国民の選ぶ最も偉大な絵画の1位に輝いています。

作品名制作年特徴
カレーの桟橋1803年荒れる海と港を描いた初期の代表作
吹雪1812年嵐と光りで戦争の悲劇を劇的に描写
戦艦テメレール号1839年イギリスで最も愛される絵画の1つ
国会議事堂の火災1835年おぼろげに炎と光を表現
雨、蒸気、速度1844年鉄道と産業革命を象徴する1枚

転機となったイタリア旅行と画風の進化

初期のウィリアムターナーは写実的な風景画を得意とする堅実な画家でしたが、1819年のイタリア旅行が大きな転機になったといわれています。ヴェネツィアなどで目にした強烈な光と大気の効果に魅了され、輪郭より色彩と光を重視する画風へと少しずつ変わっていきました。

旅を重ねるごとに表現はより大胆になり、晩年の作品ではほぼ抽象画に近い域にまで達しています。この劇的な進化こそが、後世になって「光の画家」と呼ばれるようになった大きな理由であり、今なお多くの美術ファンを惹きつけているのです。

ウィリアムターナーはどんな人物?

ウィリアムターナーは1775年4月23日生まれで、ロンドンで理髪師を営む家庭の長男として生まれました。本名はジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーといい、子供の頃から絵の才能を活かしてお小遣い稼ぎをしていました。

父は店先に幼いターナーの絵を飾って売るなど、画家への道を早くから後押ししました。その甲斐あってわずか14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学し、15歳で初めて展示会に作品を出品しています。以降も着実に評価を高め、1802年には史上最年少クラスで正会員に選ばれています。

母の精神疾患が落とした影

順調に見えるキャリアの裏で、家庭には決して明るいとはいえない複雑な事情がありました。母メアリーは1799年ごろから精神の不調が目立つようになり、セント・ルークス病院を経てベスレム病院へ入院しています。

そのまま病状が快方に向かうことはなく、1804年にはついに同院でこの世を去っています。妹のメアリー・アンも幼いうちに亡くなっており、少年時代のターナーは決して恵まれた環境で育ったわけではありません。それでも絵を描くことだけは手放さず、逆境をばねにして才能を開花させていきました。

なぜ生涯独身だったのか?

ウィリアムターナーは結婚をせず、生涯独身のまま画業に生きた画家として知られています。はっきりとした理由は不明ですが、母の精神疾患が影響したとする見方があり、母の病を間近で見て育った経験から家庭を持つことに慎重になったのではないかという説です。

私生活を極端に隠したがる性格だったことも、独身を貫いた一因ではないかとみられています。これはあくまで研究者や伝記作家の間で語られる一つの解釈であり、本当のところは今も謎に包まれたままです。

内縁の女性と娘たち

結婚こそしなかったものの、ウィリアムターナーには内縁関係にあった女性がいました。未亡人サラ・ダンビーとの間にはエヴェリーナとジョージアナという2人の娘をもうけ、遺言でこの2人を「サラ・ダンビーの実子」と明記し、正式に認知していました。

次女ジョージアナは1843年に31歳の若さで亡くなり、家庭には結婚生活とは違ったかたちの苦労もあったことがうかがえます。晩年はもう1人の未亡人ソフィア・ブースと暮らし、ウィリアムターナーは76歳で彼女の家で静かに息を引き取りました。

ライバル画家との対立エピソード

ウィリアムターナーには、負けず嫌いな一面を示す痛快なエピソードが残されています。1832年の展覧会で、ライバル画家コンスタブルの赤みがかった絵の隣に自作が飾られました。ターナーは展示直前に自分の絵に赤い絵の具を一筆加え、見事なブイに仕上げてライバルを驚かせたそうです。

同時代の画家C・R・レスリーが書き残したこの逸話は、今も語り継がれる有名なエピソードとなりました。実力だけでなく駆け引きの巧みさも兼ね備えていた、ウィリアムターナーの人間くさい一面が垣間見えるエピソードです。

印象派に与えた影響と現在の評価

ウィリアムターナーが追求した光と色彩の表現は、後のモネやマークロスコら印象派の画家たちに大きな影響を与えたといわれています。その功績を称え、現代美術における権威ある賞「ターナー賞」にも彼の名前が冠されました。

日本でも度々大規模な回顧展が開かれるなど、時代や国境を越えて根強い人気を誇っています。ロンドンのテート・ブリテン美術館にはウィリアムターナー作品だけを集めた専用ギャラリーが設けられ、収蔵数は油彩画300点以上、水彩やスケッチは2万点以上にのぼります。

まとめ

ウィリアムターナーという画家は、光と大気を追求した革新的な表現で、印象派の先駆けとなった人物です。『戦艦テメレール』や『国会議事堂の火災』など数々の代表作を残し、時代を越えて今もなお世界中で愛されています。ウィリアムターナーの波乱に満ちた半生を知ってから見返せば、作品の見え方もきっと変わってくるはずです。

この記事を書いた人

サイトにアクセスしていただきありがとうございます!関東在住のオフィスワーカーこころです。ヨーロッパへの旅行が好きで、その中で美術館を訪れる機会が増えたことで絵画に興味を持つようになりました♪これまで興味がわかなかった方も楽しんでアートを身近に感じてもらえるような情報を発信していきます。

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