“天へ届く塔”として知られるバベルの塔は、神話か史実かという論点と、美術史での受け止められ方が重なって語られてきました。ここでは「バベルの塔が実在したのか」の手がかりと、ブリューゲルが描いた二つの『バベル』の違いについて順を追って読み解きます。
バベルの塔とは?旧約聖書に描かれた物語
バベルの塔の記述は、創世記11章1〜9節(旧約聖書)にあります。物語のあらすじは、同じ言語を話す人々が町と高い塔を建設しようとし、それを神が言葉を乱して人々を散らしたとされます。
天を目指す人間の挑戦
人々は当初「名を上げ、散らされないため」に塔を建てはじめました。焼いたれんがと瀝青という当時の先端技術が、志の高さと同時に自負の強さを物語ります。しかし、目的はやがて共同善よりも名誉の誇示へ傾き、結束も崩れ始めます。神の「地に満ちよ」という方向性とも衝突しました。
言葉の混乱とともに壊れたもの
神が言葉を混乱させると、指示も合図も届かず工事は止まりました。壊れたのは塔そのものではなく、協働を支えるコミュニケーションという土台でした。以後バベルは、分断や断絶の象徴として芸術と物語の中で語り継がれていきます。
この短いあらすじが示す“意味”は、構造物の崩壊ではなく、言語と目的の不一致が生む協働の崩壊です。
バベルの塔は実在した?—バビロン遺跡とモデル説
物語の背後には、古代メソポタミアの大都市バビロン(現在のイラク中部)にそびえた宗教建築の記憶がありました。現実の塔の迫力と体験が、象徴としての「バベル像」を形づくったと考えられます。
ジッグラトとエ・テメン・アン・キ
バビロンは古代メソポタミアを代表する都市で、神々を祀る階段状の神殿塔ジッグラトが建てられていました。中心的な塔はエ・テメン・アン・キ(「天地の基礎の家」)と呼ばれ、主神マルドゥクの聖域に付属する宗教施設です。段状に積み上がる量感と推定される高さは、“天へ続く階段”の印象を与えます。
発掘記録や復元案では“高さ”はおよそ90m前後と推定され、実在モデルに現実味が加わります。
語源と“融合”の視点
「バベル」はアッカド語のバブ・イル(神の門)に由来し、物語ではヘブライ語の「バラル(混乱)」と響きを重ねて意味づけられ、地名の語源と“混乱”の教訓が結びつくことで、遺跡の記憶は一層強い象徴へと高まりました。さらに異郷体験(バビロン捕囚)の記憶も重なり、現実の建築と信仰的解釈が溶け合った「バベルの塔」という像が生まれたと捉えられます。
“2種類”の謎—ブリューゲルの「バベルの塔」を見比べる
16世紀の画家ピーテル・ブリューゲル(父)は、「バベルの塔」をテーマに二つの作品を残しました。一つはウィーンの美術史美術館にある「大バベル」、もう一つはロッテルダムのボイマンス美術館にある「小バベル」です。同じ題材ながら、構図や雰囲気がまったく異なり、そこにブリューゲルの深い意図が見えます。
二つの塔—基本情報と見え方の違い
『大バベル』は横長の構図で、塔の手前に王と家臣、忙しく働く人々が描かれています。塔は岩盤を抱え込むように立ち、アーチが歪み、部分的に崩れかけた様子が不安定さを感じさせます。全体に生命力がありながらも、完成を急ぐ焦りがにじみます。
一方の『小バベル』は上空からの俯瞰構図で、あたかも天上から塔全体を静かに見下ろすその視点が取られています。霞んだ空と散る人影が、達成の直前に訪れる虚しさを暗示し、人間の繁栄の儚さをより強く伝えます。
なぜ二度描かれたのか
当時のヨーロッパは宗教改革の真っただ中にあり、理性と信仰、秩序と混乱の揺らぎが社会を覆っていました。ブリューゲルは視点を変えた二作で、「人間の知恵と傲慢」の対立を可視化。高さを競う物語の陰で、崩れやすい結束=“バベル”の寓意を重ねたのだと考えられます。
絵画としての魅力—建築描写と群衆のドラマ
螺旋回廊や連続アーチ、滑車やクレーンまで細密に描かれ、板絵の小ささを忘れる濃度。遠近の切り替えも巧みで、視線は塔の曲線に導かれながら足元の営みに戻ってきます。技の誇示と暮らしの時間が交差するところに、画面の呼吸があります。
同時に、階層による暮らしの違いもそっと示されます。低層には石工や荷運び、炊事・洗濯など素手の仕事。中層では測量や監督が増え、装いと所作に差が出ます。高層や前景には王や役人、祈りの一団が現れ、視線は自然に彼らへ。垂直に伸びる塔は、上昇の野心だけでなく社会の重なりも可視化し、「この塔は誰のために建てられているのか」という問いを残します。
モチーフの広がり—美術・建築・映画・音楽への影響
バベルの塔は「人間の野心と限界」「文化や言語の交錯」を象徴する題材として、時代を超えて創作を刺激してきました。塔という構造は、上昇と崩壊、秩序と混沌、協働と断絶を一度に表現できる“舞台”のような存在です。そのため、絵画・建築・映像・音楽など多様な表現で繰り返し扱われてきました。
M.C.エッシャー
幾何学的な塔を上空から俯瞰し、上り続けても同じ場所に戻る“無限の循環”を表現。人間の努力と限界を哲学的に描きました。
マルタ・ミヌヒン
異なる言語の本を約3万冊積み上げた「本のバベルの塔」を制作。言葉の壁と文化の多様性を、体験できるアートとして提示しました。
エミリー・オールチャーチ
現代都市の写真を重ね合わせ、ビル群や広告を新しい“塔”に見立てて制作。現代社会の情報過多やグローバル化を象徴しています。
現代社会にも通じるメッセージ
私たちは今日、情報とテクノロジーという「新しい塔」を積んでいます。問われるのは高さではなく「何のために上を目指すのか」という意味。言葉や文化が異なる時代に、価値ある塔は競争よりも理解と協力の上に築かれます。
手段(資料やツール)が増えても、目的と前提の共有がないと結論は散る―現代の“バベルの塔症候群”と言えるでしょう。高さより「何のために積むのか」をそろえることが、分断を超える第一歩になのではないでしょうか。
まとめ
バベルの塔が実在したかの手がかりは、バビロンのジッグラト「エ・テメン・アン・キ(天地の基礎の家)」があります。ブリューゲルの二作『大バベル』『小バベル』は、人間の理想と傲慢、秩序と崩壊を異なる視点で描き分け、緻密な建築と群衆の息づかいで物語のあらすじを超える絵画の魅力を示しました。
バベルの塔の実在をめぐる議論は、“現実の塔”と“心に積む塔”の両方を見直し、「私たちは何のために高みを目指すのか」を考える入口です。






