印象派という言葉を聞いたとき、モネやルノワールの名前がすぐに浮かぶ方は多いのではないでしょうか。ところが、その印象派をグループとして支え、若い画家たちの相談役として長年にわたって中心にいた人物こそ、カミーユ・ピサロです。「印象派の長老」とも呼ばれながら、自身も絶えず新しい表現を探し続けた画家でした。今回は、カミーユ・ピサロの代表的な作品を中心に、その背景や鑑賞できる場所まで、やさしくご紹介していきます。
カミーユ・ピサロはどんな画家?
カミーユ・ピサロは1830年、デンマーク領時代のセント・トーマス島(現在のアメリカ領ヴァージン諸島)で生まれました。父はポルトガル系ユダヤ人の商人で、母はフランス系ユダヤ人。幼いころから自然豊かな島の風景に囲まれて育ち、その体験が後の画風の根っこになっていきます。
12歳でフランスへ留学し絵の基礎を学んだピサロは、25歳でパリへ移り本格的に画家の道を歩み始めます。コローやミレーといった先人たちの作風から影響を受けながら、やがて屋外で光や空気をそのまま描きとる「プレーン・エアー」の手法へと傾いていきました。
印象派グループとの深いつながり
パリで学んでいたころ、ピサロはモネやセザンヌ、ルノワールたちと出会います。彼らは既存のサロンの審査基準に縛られない、新しい絵の表現を模索していた仲間たちでした。
1874年から1886年まで、計8回にわたって開催された印象派の展覧会。じつはこのすべてに出品したのは、グループの中でカミーユピサロだけ。どんなに経済的に苦しいときも、仲間と意見が分かれたときも、最後まで展覧会に関わり続けました。そのことひとつとっても、ピサロがこのグループにとって特別な存在だったことが伝わってきます。
カミーユピサロの代表作
そんな印象派の中心であったカミーユ・ピサロの代表作を見てみましょう。
《モンモランシーの風景》(1859年)
パリ郊外の田園地帯を描いた、ピサロが初めてパリ・サロンに入選した記念すべき一枚です。当時はまだ印象派以前の作風で、褐色を基調とした落ち着いた色合いで描かれています。同じ年、マネやミレーは落選していたのに、ピサロは入選を果たしています。荒くて大胆なタッチのなかに、若いピサロの確かな観察眼が感じられる作品です。
所蔵:オルセー美術館(パリ、フランス)
《ジャレの丘 ポントワーズ》(1867年)
手前に草木の茂る丘の斜面、奥には谷間に点在する家並み、そして視界を遮るように立ちあがるジャレの丘、重なり合う空間の奥行きが印象的な作品です。日傘をさした女性がふたり歩いているだけの静かな場面ですが、それがかえって田舎の空気感をじんわりと伝えてくれます。
作家のエミール・ゾラはこの絵を「現代的な田園風景がここにある」と評しました。ありふれた光景から詩情を引き出すのが、カミーユ・ピサロという画家の力でした。
所蔵:メトロポリタン美術館(ニューヨーク、アメリカ)
《ポントワーズの花咲く菜園、春》(1877年)
春の光を浴びて花咲く野菜畑を描いた、明るくのびやかな一枚。この時期ピサロはセザンヌとともにポントワーズに滞在し、並んでイーゼルを立てて制作していたといわれています。
セザンヌはのちに「ピサロは父のような存在だった」と語っています。人付き合いが苦手で孤独になりがちだったセザンヌにとって、ピサロの温かい人柄がどれほど支えになっていたか、想像するだけで胸が温かくなりますね。
所蔵:オルセー美術館(パリ、フランス)
《赤い屋根、村のはずれ、冬》(1877年)
冬枯れた果樹園の木々のあいだから、赤い屋根瓦の家々が顔をのぞかせています。緑と赤という補色の組み合わせがくっきりとした印象を残し、季節の冷たさと静けさが画面いっぱいに広がります。
この時期のピサロはセザンヌと互いに刺激しあっていたため、単なる光の描写にとどまらず、空間の構成にも意識が向かっていたといわれています。印象派とセザンヌ芸術のいいとこどりをしたような、見ごたえのある一枚です。
所蔵:オルセー美術館(パリ、フランス)
《田舎の幼いメイド》(1882年)
質素な室内で、あどけない表情のメイドの少女が床を掃除しています。画面の端で食事をする子どもは、当時4歳だったピサロの息子がモデルだそうです。椅子の繰り返し、テーブルの丸い形、壁の額縁、何気ない配置のなかにリズムがあって、静かな時間がそっと流れています。
人物を画面の端に寄せる構図はドガの影響ともいわれますが、ピサロらしい温もりが全体を包んでいます。
所蔵:テート・ブリテン(ロンドン、イギリス)
《モンマルトル大通り 冬の朝》(1897年)
出典元:My footprints in museums and art galleries
晩年のピサロは眼の病をわずらい、屋外での制作が難しくなりました。そこでホテルの窓際に座って、眼下に広がる街の景色を描くスタイルをとります。このモンマルトル大通りの連作は、同じ場所を季節や時間を変えて14枚も描き続けたシリーズです。
馬車や人々が行き交う近代パリの喧噪が、色と光の動きとして画面に刻まれています。自然の田園から都市の風景へカミーユ・ピサロの視点は、生涯ぶれることなく「今、目の前にある現実」を見続けていました。
所蔵:メトロポリタン美術館(ニューヨーク、アメリカ)
若き才能を育てた師としての顔
カミーユ・ピサロのもうひとつの大きな役割は、後の時代を担う画家たちの師であり、精神的な支えであったことです。
ゴーギャン ゴッホという、後期印象派を代表するふたりの画家もピサロと深くつながっています。ポール・ゴーギャンは直接ピサロに絵を習い、ピサロの指導を受けて腕を磨きました。フィンセント・ファン・ゴッホについては、画商テオ・ファン・ゴッホを通じて紹介を受け、ゴッホの才能に大きな可能性を感じたと伝えられています。
また、美術史家のジョン・リウォルドはカミーユ・ピサロを「印象派画家の学長」と呼びました。グループの最年長であっただけでなく、穏やかで公平な人柄が、個性の強い画家たちをひとつにまとめる役割を果たしていたからです。批判されても焦らず、流行に流されても自分の感覚を大切にしながら、最後まで絵を描き続けた姿勢が、まわりの人たちにとって大きな支えでした。
まとめ
カミーユピサロの作品は、派手な主張よりも、静かな誠実さで見る人に語りかけてきます。農民の日常、季節の移ろい、近代都市の喧噪、どれも飾らずにありのままを描いた風景ばかりです。
作品の多くはパリのオルセー美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されていますが、日本でも企画展などで出会える機会があります。もし美術館へ行く機会があれば、ぜひカミーユ・ピサロの名前を探してみてください。静かな画面のなかに、確かな温もりが宿っているはずです。






